グリーンカレー物語           戻る

その3「タイフェスティバルに参戦!」
グリーンカレーが名物料理として、絶対的な自信を持ち、引き続きお客様からの
高い評価を頂いておりましたが、まだまだ本当のタイ料理に精通している人との接点は
皆無に近いものがありました。
その理由として、当時は、BEER&BEARという名前のビール専門店。
ビール専門店ならヨーロッパになるのが普通ですが、感性が一般人とは大きくかけ離れているので
しょうか?何故かアジア料理との組み合わせ。
面白いという人がいる反面やはり奇をてらいすぎたのか、なかなか多くの人に受け入れられず。
一部の常連客ばかりの店になってしまっていました。
そうこうしているうちに、売上も低迷し始め、

危機感を持ちながら選んだ結論は、「東南アジア料理店」に業態転換すること。

これも
自家製ペーストのグリーンカレーという絶対的な自信のある料理を完成
させたから・・・しかし既存のお客様の事もあるので、元々ついていた「麦酒食堂」という名前は残すことになりました。

高田馬場にあるミャンマーシャン族料理の店
(ここまでマニアックな専門店が東京には・・・)


東京のチェーン店を目指しているグリーンカレーも侮れず。
しかし、世の中そんなに甘いものではありません。
業態転換したものの、一時的に売上を取り戻したかと
思えば、再び下降線へ。ビールのお客様の流出が、
アジア料理ファンの流入より大きかったので、
苦難の道を歩むことになったのでした。
「世間のアジア料理の状況を見よう」
と積極的に他の
店に・・・しかし本場の味を知っているからでしょうか?
グリーンカレーといわずとも余り美味しいところが
ありません。
それならばと向かった先は、
首都東京
ビールの時代でも感じたように、
こういう味関係での東高西低はどうしようもありません。
1月の一番静かな時期に行き、それがきっかけで
副業をすることとなり、結果的に
5月6月にも東京に足を運ぶことになったのです


休憩をかねて入った店の味見のつもりが・・・・実力が違いすぎる。(トムヤムラーメン)
副業は、社長のインタビューや店の調査など
ですが、東京の店の味の実力も驚きましたし、
逆に勉強になりました。
何しろこれがきっかけで、あまり重視して
いなかった
「ガパオ・ムウ」を強化して、
人気メニューに押し上げたり、黒米ごはんを
ランチにつけるアイデアも、このときに無意識
のうちに得たものです。それ以上に
アジア料理店もがんばれば繁盛できる
という自信を持つこともできました。
あの
自家製ペーストのグリーンカレー
あれば必ず!

左の男性が日本人のベトナム料理シェフの中塚さん。(右の女性は森泉さん)
このときに彼らと出会ってから、東京と大阪の間でさまざまな情報交換や
交流を深めることになりました。
グリーンカレーを筆頭に、ガパオムウなど
その他の料理をどんどんパワーアップ。しかし、口コミやネットを見てくる人はいるものの、
全体的な知名度はまだまだ低いのか、売上も思うように伸びません。
「何かこのグリーンカレーを知らしめる方法は無いものか?」
その時に、一つの事が頭に浮かびました。
「そうだタイフェスティバルに出店しよう!」

南港でのイベント。ごはんが出せなかったのでここではグリーンカレーは封印
(写真の2人は手伝ってくれた当時は常連のお客様ですが、
     こういうところでの縁もあって、後に同じ釜の飯を食う仲間になりました)
これまでもイベントに出店料を払って、屋台を出して
いましたが、今まで出たイベントは何故かいずれも
ごはんが封印されており、グリーンカレーを出すことは
ありませんでした。
今年も、夏に南港のイベント続いて9月に東京の
ベトナム料理シェフ中塚さんの後押しもあって、
ベトナムフェスティバルにでることを決めていて、
こっそりグリーンカレーを出そうかとも思いましたが、
国が違うので出したとしても・・・・。

そのちょうど真ん中に、大阪のタイフェスティバルがあり、申し込めばすぐにでも出店できそうな雰囲気でした。

「やるなら一気に3イベント出てみよう!」
精神的、肉体的、経済的いずれのしてからも無謀な
挑戦ながらも、気持ちの勢いがそれを上回りました。
すべては、グリーンカレーを知らしめるために・・・・
最初に南港のイベント。昨年難波で開催されたときは、アジア料理の店が少なかったこともあり
想像以上の大もうけ。
2匹目のどじょうを
狙ったのですが・・・・
結果は書き表すことすらためらう様な事に・・・。

そして、第二弾としてタイフェスティバルで
赤字分を取り返すべく準備開始。
二年前、抽選でタイ航空券が当選し、
グリーンカレー探訪の旅に出た思い出のイベント。
あの時は
「いつか出てみたい」と思って
いましたが、ついにその時が来ました。
そして、満を持してグリーンカレーを引き下げて
会場の設営に来た瞬間。
「場違いなところに来た」
瞬時に感じてしまいました。

いつもなら、非常に楽しく感じるタイの雰囲気が漂って
いましたが、今回は逆に不気味なまでのプレッシャー
になりました。
(このイベントに日本人が出店しても良かったのか?)
さらに、他店の設営の凄さ。今までのイベント
では見たことも無いような、工事現場の足場か舞台装置
を思わせる圧倒的な看板の前に、
更なる脅威を感じてしまい、徹夜で色々試行錯誤。
どうにかがんばりましたが、単なる色物にってしまった感はあります。

工事現場の足場か舞台装置のような圧倒的な看板。


慌てて、徹夜でがんばりましたが、単なる色物になってしまったようです。

タイフェスティバルに登場した自家製ペーストのグリーンカレー(味に全く問題なし!)
それでも、味には自信はありましたし、南港での
経験をフルに出そうと、タイ人が思いつかないような
あらゆる奇策をめぐらして挑みました。
しかし、イベント慣れしている他のタイ料理店と比べると
やはり
劣勢気味。屋号に「麦酒食堂」という名称が主催者側も理解していなかったようで、主催者側からの表示名が
「アジアごはん」となっていたのも不利だったかもしれません。
それでも、奇策の効果があったのか、わざわざ来て
くださったり・・・グリーンカレーの評価はここでも
高かったようです。
激闘の2日間は終わりましたが、南港の赤字分を
取り返そうと必死になったために、
期待通り伸びず
東京に賭けることになりました。

ベトナム料理じゃないけど店の売りという名目で
グリーンカレーを出すことも決まりました。
満身創痍の状態で東京へ10時間かけてイベント出店。
体力も精神力も限界でしたが、とにかく赤字を取り返す
ための気力がそれを大きく上回ったのです。


台風の存在もあり、天候は気になりましたが。
土曜日は見事に晴れました。
タイフェスと同じ奇策の数々を使うと、それが見事にヒット。いきなり行列が出来たかと思うとそれが途切れることなく続いたのです。
ひょっとすると
「大阪から訳のわからない店が来た」
と思われたのかもしれませんが、行列が行列を生む結果には、他店も東京の知人も驚いたようでした。

特に南港でも好評だった、ベトナムのブンボーフエとグリーンカレーの組み合わせは最強で、ブースに来たお客様の全体の7割近くの人が買って行かれたと思います。

初日は、大成功でいよいよ2日目と思ったものの
2日目は雨模様。奮闘しましたが、雨脚は強く
また、東京の大御所級の店が体制を整えたのか
行列はそちらのほうばかり、初日のようには
行きませんでした。

綺麗な富士山に逆転の望みを賭けて


可能な限りに派手にして最終決戦へ!(堂々グリーンカレーも登場)
最初の南港の赤字をある程度取り返せたものの、そこまで・・かつ3つのイベントに強行出店したために
通常営業のほうがボロボロとなり、売上は大きく下降。
致命的な状況に
店の存亡をも揺るがす事態になりました。

ところが!意外なところに
救いの神が現れたのです。
10月にはいると客数が急増。話を聞けばタイフェスティバルに出ていたお店という事で非常に多くの方が
年末まで途切れることなく来てくださいました。
その上、
「グリーンカレーを全面に出している店なんて珍しい」という理由で11月には、
別のイベントにも声がかかり、
赤字はこうむったものの結果として、タイフェスティバルにグリーンカレーを引き下げて出店したことは大成功。
もともとの目的であった
「グリーンカレーの存在を知らしめる」
ことが出来たのでした。

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