2002年7月25日(12日目)

いよいよ最終日。朝の目覚めも良く最後のベトナムを
全身にしみこませようと、気合が入ります。

こちらのミニホテル「DUDU」の
4Fの部屋から見た通り、この通りはレタントン通りという
ホーチミンの日本人街。
シェフは半年前にこの宿を定宿にして、しばらくの間ここは
ベトナムホーチミンの定宿でした。
(後に別のエリアに定宿は変わりました)



この当時と最近とはずいぶん変わりました。
2日前に行きましたパシフィックのレストランも直ぐ近くにありました、が
2013年が現在の最後の訪問
(この記事を書いているのが2015年12月現在)ですが
もっと雰囲気が変わっているように思います。
(ちなみにDUDUのホームページも閉鎖されていて今もあるかどうかわかりません)


部屋の雰囲気です。東南アジアのホテルはタイル張りが
ほとんど。この部屋はバスタブもあり、お湯もふんだんに使え
テレビも日本のNHKの衛星なども見ることができ、日本人には最適の宿でした。

最近泊まる海外の宿のほとんどはシャワールームのみのところが多いので。

この日ある見学を午前中依頼していました。
それは、ビール工場見学。今じゃ考えられませんが
当時は、頭の中の過半数は「ビール」だったんですね。

ガイドさんと車で最初に向かった先がこちら。



非常に旧式の機械を使っていて、日本の地ビール(クラフトビール)
のビール醸造所のものとは全く非なるものだったからです。



それでも、恐らく麦汁を拡販したりするような装置が
あって、これでビールは造られるのでしょう。
先日チャイナタウン「チョロン」で飲んだビアホイのビールあたりはこうやって
作られるのかと、頭で想像を膨らませます。


恐らく搾るための機械と思いますが、どう見ても日本酒を搾る機械に見えます。


完成した麦汁にビール酵母を入れて発酵させるためのタンク
でしょうか?これもどうも日本酒のタンクに見えてしまいます。


こちらが工場の入口「MISAビール」とのことですが、これは旧ソ連のキャラクター
のようですね。ベトナム自体が社会主義国で、旧ソ連との付き合いもありましたから
そこから機械を導入したのでしょう。

でも、恐らくこの工場はもう現在は無い可能性が・・・・・。


このときのガイドさん。名前は忘れてしまいましたが
非常に丁寧に案内してくれました。

次の醸造所はがらりと変わって私たちが良く見るビールの醸造所の
あるレストラン。


どこでも同じなので、逆につまらなさすら感じますが
これが正当なのでしょう。


麦芽の粕がありました。



機会が近代的です。先ほどとの違いが見られたのは結構ラッキー
だったように思います。


発酵タンクも、きっちり温度管理されています



ここは話を聞けばチェコのビールを作っているとの事。
チェコといえばビールの本場ですし、かつてはスロバキアと一つの国で
旧ソ連側でしたから、つながりが深いのがうなづけます。



こちらのお店です。そう実はHOAVIEN一昨日の夜に
行ったお店。そのときはここに来るとは全く思って
いませんでしたので、実は偶然なのです。


2ヶ所の対照的なビール醸造工場を見学した後、
お昼ごはんは犬料理のお店。



ベトナムも中国同様に、基本的に何でも食べる文化があります。
そして犬肉もマイナーながら食べます。
愛犬家の人には失礼と思いつつ、興味と好奇心がそれを上回り
食べてしまいました。一般的な牛肉とかと比べて筋が多くて
硬いのが特徴でした。

午後は、買付けに走りました。
2日前と同じBAO氏と言うベトナム人ガイド。
午前中のガイドさんもBAO氏の紹介できたのです。



日本語がしゃべられますが、やや片言なのが特徴。
自営業のガイドさんなのと素性がはっきりしないのでやや怪しいのですが、
シェフおぐしが前回滞在していた日本人女性からの紹介だったことと。
話をすれば、決して悪い人間でもなさそうなので、そのあたりは安心しました。

ちなみに彼とは、このあとベトナムに来た時の数年間お世話になることになります。

買付けの跡に向かった先はこちら


これは、ホーチミンの中心部にある中央郵便局です。
日本の郵便局とはイメージが違いますが、ここで船便で荷物を送ります。
この建物自体歴史がありますので、見るだけでも十分価値があります。

いよいよ旅もらすとスパート。夕ごはんです。


正直なところ記憶があいまいですが、どうやら鍋のようですね。
個人的に鍋がすきと言うこともありますが、ベトナムでは寒いわけでもないですが
鍋が結構人気です。寒くなくても美味しいです。これは次回始めて行くことになる
タイでも同じですね


こうしていよいよ荷物をまとめて帰国の準備。
これは、少し前にシェフが単独でベトナムに行ったときの写真ですが、
左側の女性が、ロコさんというミニホテルのオーナーさんです。

おぐしが前回来て半年後、再び来たことがよほどうれしかったようです。

後はタクシーを呼んで空港にと言う前に、小1時間あるという事で、
最後に飲むことにしました。好みにホテルのあるところは日本人街なので
日本食レストランがあります。その中に「博多」と言う九州料理の店が
ありましたので、海外から見た日本料理と言うのを見てみようということで
入り、軽く飲んだところ・・・・。

「ああ、これはこれは一緒に飲みませんか」と言う男性。
実は、料理教室「オーバーランドクラブ」のHさんがそこにいたのです。


(メニューの金額はイメージです実際とは違いますし、そこまでの記憶ないです)

私たちのような短期の旅行者ではわからないのですが、駐在員とか現地に
住んで働いている人たちは、祖国を離れてこういう日本料理店で
日本語のシャワーを浴びているような感じで、日本の本や漫画などが、
置いてあったりします。

日本で、忙殺された毎日を送る私たちからすれば、
南国の滞在は非常にうらやましいと思うのですが、
実際何かと大変なようで、このときのHさんは仕事のときと違い
何かと悩みながら、酒とちょっとした肴と「うまかっちゃん」
(インスタントラーメンもメニューにあり)を注文されていました。

本当はゆっくりお話をと思ったのですが、タイムリミットになり、
再会を約束して後ろ髪を惹かれる思いを持ちながら店を発ち
待機していたタクシーに乗って空港へ。
深夜便に乗り込み朝には大阪関西空港に到着しました。

長いような短いような、ベトナムの旅はこうして終わりました。

初めて一緒に言ったベトナム。当時店の開業までは考えていません
でしたし、どちらかといえばビールの方に関心が高かったのです。

まさかこの後、現在に至るまでで、
この国と深くお付き合いすることになろうとは
このとき夢にも思いませんでした。