2002年7月22日(9日目)

ホーチミンに戻った翌朝。
小さな旅の疲れも無く、早速朝食を食べました。



フォーに似ていますが、フーティウという、形状が似ているけど少し
違う麺もしくは丸麺だったらブンと言う汁麺ですね。
(画像だけでは確認が取れません・・・)

この日は、当時はまだ大手チェーン店の顧問のような立場で
仕事をしていたシェフの仕事関係で、
チェーンのお店に使えそうな食器を
参考までに見に行くことになっていました。




東南アジアのイメージだと一般的に「庶民的」というのが
前面に出ると思いますが、高級なデザインにこだわったようなところも
きっちりあって、特にベトナムの場合は色彩感覚も良いので
そういう県連のお店で使用するような食器や備品類の参考になります。



漆塗りのお店ですね。
熱帯雨林のエリアのためか、実は木材が日本よりも重厚だったり
して、漆塗りも普通にあってこういう風にお土産で販売します。
見た目は立派で、実際に遜色も感じないし、
日本よりも遥かに安く入手することができます。



別のお店です。インテリアのデザインのセンスは侮れません。



食器・備品類調査が終わったら、ビールを飲んで一休みです。



一般的なビールではなく、チェコあたりのビールを再現したレストラン
LION(ライオン)」とありますが、日本にあるビアレストランの銀座ライオン
とは全く別の経営のようです。


このお店は今も中心部に健在なので、何度も行きましたが
年々味がよくなっているような気がします。
この当時はまだその当たりが弱い気がしました。




そして、夜になってもう一見別の店を見つけます。
こちらは街中を歩いていて偶然に見つけたのです。


HOAVIEN」と言うお店です。
当時はビールのほうの研究と言う意味合いも
強かったので、見つけ次第通いました。
この時に先ほどの店と比べるとこちらのほうが美味しかったです。

中心部から少しだけ離れていますが、歩いても通える場所。
その時は気づきませんでしたが、後にこのお店とはいろいろ関わりが
起きるのです。




店の雰囲気、時間帯の関係もあり、こちらのお店のほうが
流行っていたように思いました。




2002年7月23日(10日目)

この日は、朝から料理教室に行く日でした。
シェフおぐしのベトナム料理における原点は、ベトナムの料理教室「オーバーランドクラブ」へ、
留学してベトナム料理を何日も通ったからなのですが、
今回も一緒にその料理教室に通うことになりました。

ホテル(といってもミニホテル)で朝食を取り、時間になるとひとりの紳士が、
ロビーで待機していました。



彼の名は日本人男性のHさん。灼熱の国なので上着を着たり、
ネクタイこそしていませんが、後はシャツとスーツのズボンで、
正しく「ビジネスマン」と言ういでたちでした。

このオーバーランドクラブは、このHさんともう一人の日本人Tさんが
始めたカルチャーセンターで、料理教室以外にも陶芸教室など
幅広いカルチャーの教室。
日本と違い外国で、企業をされたのですから日本だと極論を言えば「金」があれば
どうにかなるところを、異国だと一筋縄ではいきませんからその苦労は
想像を絶します。

この後、教室現場でお会いするTさんは、
Tシャツ姿でしたから服装に限って言えば極端ですね。

現在は中心部の近くにある教室も、当時は少し離れた郊外にあって
来るまでの移動になります。
シェフ単独のときは一人なのでバイク(ベトナムでは定番の乗り物)
の後部に乗って通いました。



このときの料理は、鰻を使ったもの。日本では蒲焼が定番の鰻も
こちらでは豪快にぶつ切りにして、カレーと春雨で炒めます。



通訳の男性です。先生はベトナムの女性でしたが、
シェフが習っていたときの講師であるQ先生ではありませんでした。
後に、Q先生とも再会するのですが、何故か転職されていました
(いきさつは不明・・・人それぞれ事情がありますから)




この料理、日本に帰国してから再現して作りました。
当時は店は開業していませんでしたのでホームパーティで出しました。
鰻を生きたまま購入しましたが、扱いに慣れていなくて鰻に逃げられて
大騒ぎになったことを覚えています。無事に料理できましたが。



そして、完成しました。鰻は今では高級品になってしまい
こういう料理のために作ることは非常に考えてしまうところですが
実は、鰻でなくとも穴子で代用可能なので、2015年の夏から秋にかけて
特別メニューで提供もしました。




下記は、この時ではありませんが、
当時のオーバーランドクラブの入口の模様。
新興住宅街にあって回りは住宅地しかなく
何もありませんでした。
(現在は中心部に比較的近くて、古い住宅地や商店があるところです)




いったん宿に戻り、昼食の後午後に向かったのは
チョロンと言うエリア。ホーチミンの中心から西側にあって
中華街があるところです。



こんなイメージのところを通過すると、漢字表記の
古い建物が並びだします。そこがチョロンエリア。
そこの市場を目指しますが、卸市場のようで
非常に騒がしいイメージがあります。

とはいえ、キリスト教カトリックが1割を占めるベトナム
町の中心部の近くに教会もあります。

初ベトナムでは少々疲れた?
と言うわけでもないのですが、ここで伝統的なビールを
飲む機会がありました。



それはこちら「BIA−HOI(ビアホイ)」と呼ばれているもので
もうホーチミンで目にすることは難しい、昔ながらの生ビールを出すお店。
出し方からして、ビーカーのような容器に大きなタンクについている
ホースからビールを出します。




でも、これは日本のお店で普通に出している「ケグ」と称される
タンクと比べて大きいので、新鮮なビールを味わうという意味では
こちらのほうが美味しいです。 熱い国と言うこともあり、ややライトな印象は
ありますが、新鮮で美味しかったですね。



こちらがこのお店のメニュー BIAはベトナム語でビールと言う意味ですが
タイガー8600ドン BGI ハイネケン9500ドン サイゴン7000ドン
333という瓶ビールに並んで
「BIA HOI」というのが5番目にあります。
5500ドンとあります。これは日本円では30円未満と言うことです
非常に安いですが、他の瓶ビールも50円未満。
最近は、もうこの金額でビールは流石に飲めません(倍以上する)から、
懐かしいというかこの写真が貴重ですね。


料理も食べています。ビールのつまみと言うレベルではあります。


ビアホイタンクです。実はこれと同じようなものが店にもあります。
開業時に購入しました。実際にビールを入れたことはありませんが・・・。


ちなみにこれです。
この後ホーチミンの中心部に戻ります。


ホーチミンの中心部に戻って着たら夜になっていました。
川からはクルーズの船と企業の宣伝のネオンが光っていました。


「寝る前に」と、宿の直ぐ近くにまたしてもビールの店が
と言うことでまた飲んでしまいました。



こちらのお店は「Pacific」と言うお店で、「BIA-HOI」ならぬ「BIA-TUOI(ビアツォイ)」と
いう生ビールが売りの店です。
後でわかりましたが、このお店は海軍が経営しているらしく、
お揃いの青いシャツの若い従業員が非常に多く居ました。

画像を見ると日本のお店でもあるようなサーバーが並んでいます。
「ビアホイ」より近代的と言うことでしょうか?


しかし、ベトナムではこういう人ががんばります。


非常に広い店(当時のベトナムでは普通)なので、ビールをひたすら注ぐ
人が居て、椅子に腰掛けて出し続けます。
ビールを注ぐのも工場でのラインの仕事のようですね。




料理も頼みました。日本と違いビールのお店でも食べるものが
美味しいのが良いですね。
まあ実は、ここから最初のお店のヒントにはなったのですが・・・。


とはいえ、この店も今はなくなりました。再開発の後全く違う飲食店街に
なってしまい、さびしい限りです。
どこの世界も、飲食業界の新陳代謝の激しさは同じようですね。